パズル論の航路

たまたま、パズル全般について論じた文章を読む機会があった。

数理的な話ではなく、歴史や芸術性に注目しながら話を進めるような内容だったと思う。個別の判断に賛否を感じたのはともかく、それ以前に「パズル」が何なのか、その共通認識が少し曖昧な状態で進んでいるように思えて、全体として結局は言葉遊びになってしまうのではないか、という気がして仕方なかった。

端的に言えば、もはやパズルは学際分野をなしていて、数理的な側面だけで語っても不足感がある。具体的な問題や造形物が数多くあるし、それを「解くための方法」だけが論点ではない。文学・歴史学・心理学・芸術学など、それぞれの視点だけで語っても常に何らかの取りこぼしが生じるくらい複雑な対象になっている。船も多いが、行き先も多いのだ。

そういう意味では、各分野でバラバラに論じる前に、まずは「パズル」という入れ物に何が入るのか、いったん先入観を(捨てるまでいかなくとも)薄めながら、可能性のある要素を集めていく必要があるのではないかな。その後で「パズル」って何だろう、と問いかければいい。

そのために集めるべき要素というのも、これまた複雑だ。

ルービック・キューブとか、数独といった、なにも個別具体的な問題群や創作物のレベルに限らない。形のない遊びだとか、意図せずに生まれた自然物なども場合によっては入るだろうし、ぼんやりとパズル的な文脈を帯びた営みすら集めることになるのも目に見える。それが最終的に「パズルではない」と言える状況が来たとしても、現時点では不都合ないのだ。まずは十分に収集して、それから判断すればいい。

ただ、いま自分が見ている種々の議論において、そうした要素の収集が不完全に思えてならないし、そのせいで話が徒労に終わっているような印象を受ける部分がある。だから、パズルに「論」はあっても、これを「学」とするには程遠いように思えてしまう。

もし、広がりのある妥当な進展を目指すなら、現時点では、無邪気に情報を集めるコレクターのような姿勢が求められているのかもしれない。もちろん、それが簡単でないことも分かってはいるのだけれど。

根っこの芽

やはり、それなりに間が空いてしまいました。

昨年の秋から続いている「文字しごと」に追われているのですが、
その着地まで、あと少し。
それで、少しずつ自分の書きものに頭が向き始めています。

そういえば、前回「インプットやアウトプットを変えて」と書いたあと、
ほどなくしてTwitterを始めてみました。
何の役に立つのか分からない、ちょっとしたことを書き連ねていますが、
たまに「パズルの根っこ論」の芽みたいな思い付きも入っています。

きちんと整理するには、もうちょっと時間が必要かな、という感じです。
サイトの剪定も、少しずつ進めています。

根っこの前に

たしか十年くらい前に、「パズルってシャヘイだね」と言われたことがあります。
しゃへい?
漢字だと「遮蔽」なんて書く、あのシャヘイです。
そう言ったのはパズルとは無縁の人で、それでも職業がら、物事の観察には長けた人物。

その方の話だと、パズルってのは結局のところシャヘイだと、そう言うわけです。
実は、私の記憶もあいまいで、あまり話の前後もはっきりしないのですが、
自分の作ったものを見せたら、そんな発言が出てきたように記憶しています。

つい最近、とある案件で、パズルの資料を大量に調べる必要がありました。
まるで、パズル史の長編映画を一度に見てしまったような、
かなりの情報過多におちいったときのことです。

不意に、あぁパズルの全体に「隠す」とか「隠れている」とか、
そういう状況があふれているな、と思えたのです。
大発見をしたとか、そういうことではなくて、なんとなく。
これが、シャヘイということかと。

もちろん、「隠すこと」はパズルに限らないのだけれど、
ただ、少なくともパズルにとっては外せない要素の一つでしょう。

パズルの問題だったり、パズル的なおもちゃを作る人たちにとって、
どんなことを見つけてもらうか、それをどこまで見せておいて、
何を、どうやって隠すのかは、とても大事なポイントです。

ゴールを隠さずに見せて、そこに挑ませる面白さもあれば、
あえて隠すことで面白くなったものもある。
その隠し方なり、隠したこと自体を楽しむわけで、
そういう変化を時代に沿って追えば、パズル史になるのかもしれない。

その一方で、パズルを楽しんで、面白さを伝える人たちもいます。
どこまで隠さずに言ってしまうか、どこまで見せてしまうか、
写真を撮るときは工夫しないと、なんて考えたりしますね。

情報を得る側にとっては厄介なのかもしれないけれど、
そういう秘密派と公開派みたいなスタンスの違いも、
これまたパズル界隈の面白い現象だったりするわけです。
ここにも、向きの違ったシャヘイがあります。

そんなことを、だらりと考えていたら、
そろそろパズルの根っこについて考えてみても、
何か得るものがあるかもしれないな、と思いました。

「パズルを考える」のではなくて、「パズルについて」を考える。
それで、「パズルの根っこ論」なんてカテゴリーを作ってみました。