悪あがきが主成分

なんとなくnoteを初めて、いわば外向きにパズル関連の雑文を出してますよ、という話は前に書いた

そのせいで、かえって自分の向き合い方が浮き彫りになってきた気がする。自分のパズル観というか、どのあたりを押し進めたいのか、ぼんやり見えてきたような……。

ともあれ、そういう内向的な話なので、こちらの方に書いておこうと思う。

メルよりガル

イベントで顔なじみの人に、ずっとパズルを広める活動をしていますよね、なんて言われることがある。そんなに長くないんだけど、そう見えるのかもしれない。でも、自分の志向は違うところにあるんだぞと最近とくに感じるようになった。

端的にいうなら、パズルを広めるではなく、パズルが広がる光景を見たいのだ。

これだけで伝わるのか。さすがに無理だな。

では、もう少し言葉を加えると、パズルという遊びが人々に浸透すること、それ自体に強い興味はない。そこではなくて、パズル自体の可能性が増えることの方に関心がある。

結果的にパズルが広まるのは構わないし、生きているうちにパズルが廃れたら悲しくもなるだろうけど、それはそれ。元来マニアックな人間なので、パズルで遊ぶ人よりも、結局はパズルそのものに視線を送ってしまうのだ。

まあ、人々に広める役目を担うことでパズル業界に影響を及ぼせる、みたいに現実的なドロドロもある。それも分かるが、そんな回りくどい手段の話はしていない。つまるところ、パズルという軸の先にある、何か面白いものが見たいんですよ。

そうはいっても

ただ自分だけで楽しんでいるのは退屈だから、どこかに情報を置いておこうと思うのは自然なこと。くどいようだが、世間一般のために残すつもりは全然なくて、あくまで同じように興味を持つ人が楽しめたらいいなと、ただ純粋にネットの海に放流する。それだけなのに、昨今いろいろ厄介だなと感じることも多い。

たとえば、noteの方で何か月も続けた「パズルトピックあれこれ」は、だんだん書く手が重くなってきた。書くのが大変なんじゃない。取り上げるネタは無数にある。でも、内容のバランスを考慮しないと宣伝めいた空気が出てイヤだし、タイムリーなものは掲載時期が微妙だ。月ごとに区切ると妙な締め切り感が出て、それもいい気がしない。そもそも、まとめサイトを作りたいんじゃなかった……はずなんだが、どんな趣旨だったっけ。

もうね、いい年数を迎えると、考えすぎてしまうんですよ。だから、またアウトプットを再整理すべきなのだ。本来のメインステージであるkofthの各ページも含め、いくらか手直ししたい気分にもなってきた(すでにごあいさつのページには手を入れたけどね)。

ちなみに、かつてのTwitter/現在のXについては、手薄だったときに海外のアカウントから妙な連絡を頂戴したり、よくわからんログインがあったりして、急速にイヤになってしまった。だから例のアカウントは沈めておく。話半分の方は別にあるし、もういいかなと。

あとこれは事実として

パズルの世界において、現時点で自分には何の受賞歴も(たぶん)ないし、それこそ大層なコレクションも権威もない。人より少し多いだけの実務経験ぐらいだから、本当に中途半端なパズル家なんだと思う。それは前から百も承知だ。

ときどき何か造形物を作りつつ、いまだにパズルの本道を歩いている気配はない。それでも、誰かの面白い作品やら、立派なパズル人やらを眺めては、それを音で、もしくは言葉で記録してきた。ポッドキャストも、noteの記事も、単なる遊びの延長としてやってはいるものの、実際こういう中途半端なパズル家の悪あがきが主成分なんじゃないかな(あんまり言うと、ポッドキャストの相方に失礼か)。

しかし、もはや脇道こそ自分の本道みたいなものだから、そこは観念している面もある。ここまでくると、できることをやっていこう、としか結べないけれど、もし今後も面白がってもらえたら嬉しいな。

イトのゆるみ

なんとなく最近、n回目の「いま自分は何をしているんだっけ」が起きている。ただし、ここでのnは3以上で10以下くらいの自然数。

ポッドキャストで適当に話しすぎたせいか、書きもの仕事で深く考えすぎるせいか、正直よく分からない。けれども、なんかこう、頭の中の棚卸しを始めようか、といった心持ちなのだ。

思えば、いろんなことをやっていて、わりとパズル方面に軸を置いてきた。それで、日頃から「パズルって何だろう」と考えることも多く、それが進んで昨今は「パズルで何がしたいんだろう」に変化している。

あれこれの書きものにしても、やはり同じように「何を書けば?」から「どういう人へ向けて書けば?」へと微妙に変わってきた。

それなりにアイデアはあるはずなのに、どれをどのように選ぼうか、そのときどきの意図が自分でも分からなくなってくる。意図がグラつく、というか、ゆるむわけだ。

意図がゆるむ。

字は違えど、糸がゆるむ、に通じる話かもしれない。なんてのは、ただのダジャレですね。

でも、やっぱり糸がゆるんで張力が、テンションが、緊張感が下がっているのは実感としてたしかにあるから、それを理由に、各方面で考えが進まないんだろうな。

もともと、頭を使って考えて、アイデアや仕組みを提案する役回りで生かしていただく人間なので、ちょっと一旦、ここで棚卸をしましょうか、ということです。

だから、今年は傾向として、ちょっと地下に潜ったような感じの活動になりそうだ。

というのを先日、ある集まりで途端に思いついて宣言しておいた。これは今でも正しい気がする。実際、あまり表立って出てくるようなイベントごとは遠慮したいし、インプット・アウトプットの掃除をしながら、面白いものは作っていきたいなと、今そんな心境であります。

それにしても、今日は暖かい。気分がいいから、筆も進む。

夜があるなら昼もある

新企画の立ち上げには多少のエネルギーが必要で、それがイベントだったら、なおのこと。

あれこれと準備を進める中で、まだ本ページで何のアナウンスも出していないことに気が付いた。そこで、遅まきながら、ここで一つお知らせしよう。

手短に言えば、以前の「パズルもの夜席」を昼に移して開くことになった。ちょっと回りくどいか。すなわち、新たに「パズルもの昼席」を開催するわけで、ロゴマークを見れば一目瞭然。あのマニアックな夜の催しが、今度は明るい時間に舞い戻ってくる。さて、どうしよう。

夜席を開催したのは今年の五月。その時点で「昼」を予測していた向きもあると聞くけれど、興行主の自分にとって、それは言葉の上で想像できても、まさか年内に開催するとは思わなかった。そんな時間の余裕はなかったのだ。

実際、とある案件のせいで、秋に入っても慌ただしいことは間違いない。そうなんだけれども、いろいろ関係先の話を聞いて、これは早々に開いておいた方がいいなと感じたのが夏の終わりごろ。詳細は控えるが、なんというか、話の流れというやつである。

結局、会場や協力先と調整しながら、狙いを11月下旬に定めた。それが連休の最終日。なんでも、連休としては今年最後なのだという(と書いたが、よく考えてみれば金曜は平日だから連休でも何でもない)。

そうと決まれば、あとは動くのみ。

ロゴマークも前回の様式に合わせてみた。文字だけでなく、左下のワンポイントと背景色、鳥のシルエットも変わっている。当初、背景は前回と同じ写真だったが、あれは「個人作品を並べる」という趣旨に沿ったチョイスだったから、さすがに変えることにした。ベタなパズルが並んだ写真なら一般性があるし、今度の「秋らしいパズル」という方針に対しても、大きく外れる心配はないだろうと。

そして、今回は夜から昼へ、より参加しやすい形になった。そのため、事前の案内も少し配慮することにしている。きっちりチラシを作って関係筋に渡し、ポッドキャスト「パズルの話半分」でも何度か触れることにしたが、これが吉と出るのかどうか。

ちなみに、このチラシ、裏面は紙折りパズルになっている。ちょっと面白い仕組みのものを利用してみたので、イベントの参加とは無関係に遊んでみてほしいな。会場となるぶんかぶは当然ながら、どこかのパズルショップにも置いてあるとか。

さて、ないことはないが、ほとんど書くことがなくなってきた。イベントの詳細は特設ページを見てもらう方が早い。ひとまず、ほどよく人が来るぐらいの盛況に期待しつつ、参加者として自分も楽しめるものになればと思うばかり。

というわけで、お時間が合えば、是非おいでください。パズルと一緒に待っています。

頼まれごとの六月

いろいろと調べものをして、余計な知識が増えていくせいか、自信を持って断定することが億劫になっている。パズルのことはおろか、自分のことについてさえ断言しにくくなっているのだから、このまま行けば、単なる弱気と見分けがつかない。

とはいえ、大層な考えを持っているわけでないから、曖昧に思い付きを述べるとか、ただ事実を列挙するとか、そうやって言葉を発し続けていくのだろう。

ひとまずセオリーどおり、ここ最近の事実を列挙しておくと、この六月は外からの頼まれごとが多かった。

まず初旬に出たのが、『パズル通信ニコリ』183号のミニ連載。どこで最初にアナウンスしたか忘れたが、前号から半ページのコラムを担当している……というのは偉そうだな。まあ、とにかく、小ぢんまり書ける場所をいただいている。

なぜか編集後記の直前なので、彼らの前座を務めたような気分で浮かれてしまうが、このコーナーの執筆陣は私だけではないから、断言するのはいけないか。あくまで個人の感想です。

ニコリ発行の数日後には、代官山にある渋谷区の施設でワークショップを引き受けていた。放課後時間にやって来る生徒さんに向けた「パズルで遊ぼう」という、タイトルも含めて小細工なしのミニ講座。

あいにく、当日は雨で人が少なかったけれど、バンドの練習を待っていた高校生たちが熱心に遊ぶのを見て、なんだか先は明るいぞ、と勝手に希望を抱く。ついでに「DTCパズル」なんてのも作って置いてきた。つまり、ここでしか遊べない。

上の写真を見て「パズルもの夜席」を思い出した人がいたら、それは鋭い。たしかに、とても似ているのだ。しかし、よく見ると画角が違う。

実を言うと、この撮影は「代官山」のためにやったもの。その後、わりと急に「夜席」の話が進んで、そこに残っていた写真を使うことにした。ところが、先に公表されたのが「夜席」だったので、なんともややこしいね。

ただ、今にして思えば、俯瞰した視点の方がパズルに慣れていない人むけだろうし、パズルに接近している方が愛好家の筋に合う。というか、実際そういう意図で選び分けたのかもしれない。よく覚えていないが、まあ、どちらでもいいか。有終完美。閑話休題。

これとは別に、同時期に頼まれて新たに作ったものがあったけれど、あれは五月だったか。そのうち発表されるので、まだ今は言及できないが、ポッドキャスト「パズルの話半分」を聞いていれば、来月には分かるはず。

ひとまず、諸般の事情が完了したから、懸案の書きもの仕事を進めよう。あまり弱気になっているわけにはいかないが、そうならないと断言できる理由もない。もう、七月ですね。

夜席の案内人から

5月の中旬、ちょっと実験的なイベントを開催することになった。

いろいろ慌ただしく進めている書きものがあって、その成果を表に出すまでには結構な時間がかかる。しかも、その間に(暇つぶしを兼ねて)試作したものが、それなりに溜まってきた。ならば、そのいくつかを正式に制作してみるか、というのが普通の態度なのだろう。

ところが、そうはならなかった。

あれこれ試作したとはいえ、昨今の情勢もあって試遊は不十分だし、いまだ進行中の書きものは新作づくりに近いタイプの案件だから、同じような作業を増やすのは気が乗らない。

それなら、久しぶりにイベントをやってみてはどうか。これが事の顛末である。

タイミングというのは不思議なもので、だんだん世間の流れも変わり始めてきた。そこにきて浅草と押上の中間に「ぶんかぶ」というパズルスポットが誕生したのだ。渡りに船というか、鴨ネギというか(もちろん鴨は私)、これはパズルのイベントを開くチャンスなのでは、と思わざるを得ない。

その結果として計画されたのが、今回の「パズルもの夜席」である。

詳細はリンク先に書いたから良いとして、要は、案内人の私が選定した(メカニカルの)パズルで自由に遊んでもらう場を、日が暮れてから開く。たった数時間のプレイスペースだ。

こういう企画をやろうとすると、やはり「パズいち」の存在が頭にチラつく。

2年ほど続いて、通算の開催は24回。その間に一定のニーズを掘り起こしながら、数年前から無期限休止という、事実上の終幕を迎えたイベントである。あの当時の運営はエキサイティングだったとはいえ、いくらか無理をしている面もあった。

その経験があっての今なんだから、それは仕方がないんだけれども、あくまで別のイベントという認識で今、なんやかんやと準備を進めている。

それなりに参加費は取るし、安心設計で親切な市販のパズルは(おそらく)並ばない。それでもよければ是非、という催し。当日は一体どうなるのだろう。とても楽しみだし、まったく読めない怖さもある。

お越しになるという方は、そんな危うさも含めて楽しみにしていただきたい。大げさに書けば、そんなところです。