パズル論の航路

たまたま、パズル全般について論じた文章を読む機会があった。

数理的な話ではなく、歴史や芸術性に注目しながら話を進めるような内容だったと思う。個別の判断に賛否を感じたのはともかく、それ以前に「パズル」が何なのか、その共通認識が少し曖昧な状態で進んでいるように思えて、全体として結局は言葉遊びになってしまうのではないか、という気がして仕方なかった。

端的に言えば、もはやパズルは学際分野をなしていて、数理的な側面だけで語っても不足感がある。具体的な問題や造形物が数多くあるし、それを「解くための方法」だけが論点ではない。文学・歴史学・心理学・芸術学など、それぞれの視点だけで語っても常に何らかの取りこぼしが生じるくらい複雑な対象になっている。船も多いが、行き先も多いのだ。

そういう意味では、各分野でバラバラに論じる前に、まずは「パズル」という入れ物に何が入るのか、いったん先入観を(捨てるまでいかなくとも)薄めながら、可能性のある要素を集めていく必要があるのではないかな。その後で「パズル」って何だろう、と問いかければいい。

そのために集めるべき要素というのも、これまた複雑だ。

ルービック・キューブとか、数独といった、なにも個別具体的な問題群や創作物のレベルに限らない。形のない遊びだとか、意図せずに生まれた自然物なども場合によっては入るだろうし、ぼんやりとパズル的な文脈を帯びた営みすら集めることになるのも目に見える。それが最終的に「パズルではない」と言える状況が来たとしても、現時点では不都合ないのだ。まずは十分に収集して、それから判断すればいい。

ただ、いま自分が見ている種々の議論において、そうした要素の収集が不完全に思えてならないし、そのせいで話が徒労に終わっているような印象を受ける部分がある。だから、パズルに「論」はあっても、これを「学」とするには程遠いように思えてしまう。

もし、広がりのある妥当な進展を目指すなら、現時点では、無邪気に情報を集めるコレクターのような姿勢が求められているのかもしれない。もちろん、それが簡単でないことも分かってはいるのだけれど。